きっかけ

私は、もともと農業とは無縁の会社員でマンション住まい。土に触れる機会は殆どありませんでした。しかし、火山が噴火したり、中国食肉問題で食の安全性に疑問を感じ、お金だけでは食べ物を手に入れることが出来ないのではないか?とふと不安に思いました。お金を介さずに安全な食べ物を手に入れることはできないか?そこで、オーガニックマーケットで知り合った自然農法の田原ナチュラルファーム(福井佐和)さんをお手伝いしに行くようになりました。2014年のころです。

初めての茶畑の草刈りは、8月のとても暑い日だったのにかかわらず、たっぷり汗をかいて、働いた分の成果(草を刈った後)が明確でとにかく気持ちよく、それから何度かお手伝いに行くようになりました。

初めての作業の成果!

 

農家さんの思い「希望がない!」

何度か通ううちに、農業の現実が分かって来ました。田原地区は「大和茶」の産地ですが今、荒れた茶畑をよく目にします。お茶の値段が下落し、畑を手放す人がいるからです。子育て世代の若者は、農業を継ぐことなく村を離れ、高齢化が進み、やがて辞めていく人が多くなっています。

大型機械を購入し、1人が広大な面積を管理している現状では、機械の借金を払う為に農業を続けているようなもので、機械代の他にかかる経費を入れると全然、採算が合いません。大変な目をして農業を続けるより、機械を持っている人に頼んだ方が遥かに安くつくので、人に頼むしかない生産者も増えています。こうして一人に管理が集中し、ますます負担が増えます。もっと若者がやりがいと誇りを持てるような農業システムでないと、日本の農業はやがて滅びてしまいます。これは、田原地区だけの問題ではなく日本全体の問題です。さらに、一生懸命作っても誰が買っているかもわからず、そのことも希望が持てない原因になっているようでした。

農業がなくなり、私たちが食べるものを作ってくださる方がいなくなると困ると思いもっとみんなでお手伝いする仕組みが必要ではないかと考えました。

 

農家さんとの出会い 2016年3月

考えた仕組みは、ならNPOセンター主催のソーシャルビジネスコンテストで賞をいただき、「本格的に稼働しないと…」思ったものの、お手伝いする相手(農家さん)がいないことには始らず、福井さんにお願いして、地域の人に会わせていただきました。

恐る恐るお手伝いの仕組みをお話すると、「よく考えてくれた!ありがとう」と想定外にウエルカムであり、ご意見としては

「怪我が心配」
「せっかく来てもらっても送り迎えが必要では、余計に忙しい」

等が出され、これらを解消することが必要でした。このご意見を元に畑ヘルパー倶楽部のポリシーを設定しています。

この時に集まってくださった農家さんは、9名。この会がなければ今はなく、福井佐和さんのフォローのお蔭です。ありがとうござます!

また、ありがたいことに田植えの準備のため、早速竹西農園さんからお手伝いに来て欲しいとご依頼があり、「メンバー集めなきゃ」の状況となりました。

 

畑ヘルパー倶楽部のスタート 2016年4月

 

最初に集まったメンバーは4名。現在のスタッフです。2016年の4月でした。この半年後にボランティアグループとして再スタートし、畑ヘルパーにご参加くださっているメンバー、お手伝いの依頼をしてくださる農家の方達のお蔭で現在に至っています。

竹西農園さんと休憩の一コマ(記念すべき第一回目)